「アンプの歪を減らしたい」とはよく聞くものの、それではどのように減らしたら良いのか、歪の原因と対策についてはあまり知られていないような気がします。
なので、私が理解している範囲で説明します。検証には無料で利用できる回路シミュレータのLTspice1を利用します。
歪とは
歪みは回路の直線性の悪さに起因しています。
回路の入力xに対して出力yが一次関数で表されるとき理想的な回路の直線性を持つ回路といえます。
y=ax+b
入力と出力の関係が直線から外れているとき直線性が悪いといえます。
直線性の悪い(歪みの大きい)回路の代表例として、ダイオードクリップ回路を示します。
ダイオードの順方向電圧-電流特性によって出力電圧は±0.6V以下にクリップされます。つまり入力電圧が±0.6V以上の時、非直線性が大きく(歪が大きく)なります。
この回路に正弦波を入力した場合の出力を示します。出力信号は元の信号に存在しない信号が加算されるということになります。
付加される信号は元の基準信号と同じ周期性を持つことが分かります。周期性を持っているため基準波の整数倍の周波数の信号(高調波)となります。
V_{in}=\sin\omega t \\
V_{out}=a_1\sin(\omega t+\phi_1)+a_2\sin(\omega t+\phi_2)+a_3\sin(\omega t+\phi_3)+...
入出力信号のFFT結果を示します。
歪みの定量的評価
歪率の定量的評価としてTHDやTHD+Nという指標がよく使われます。
これまで説明したように歪みによって付加された信号は入力された信号の高調波のみとなります。基準波の電圧に対する高調波の二乗和の平方根の比がTHD(Total Harmonic Distortion,全高調波歪)となります。
THD=\frac{\sqrt{a_2^2+a_3^2+a_4^2+...}}{a_1}
高調波だけでなきノイズも含めた基準がTHD+Nとなります。
高調波の振幅が小さい場合、回路や測定環境が持つホワイト雑音と高調波の識別ができなくなります。基準波の振幅が小さい場合は相対的に高調波の振幅も小さくなるので測定が難しくなります。この場合「歪がノイズに埋もれる」といった表現がされます。また、後述するようにTHDは出力振幅や周波数、負荷によって大きく変化する性質を持っています。振幅、周波数、負荷が揃ってない2つのTHDの数字を比較することはフェアではありません。
歪みの評価基準として他にIMDやSFDRといったものもあります2。
フィードバックによる歪みの改善
THDを改善するためのもっとも一般的な方法の一つがフィードバックの利用です。
先ほどのダイオードクリップ回路にオペアンプでフィードバックをかけます。
オペアンプはLTspice付属の理想オペアンプでDCオープンループゲイン100dB,GB積10MHzです。1kHzでのゲインは80dBとなります。
中間ノードであるオペアンプの出力が非直線性を打ち消す動作をするので回路全体の入出力特性が大幅に改善されました。
1kHzの正弦波の入出力特性を見ると若干歪みが残っているのが分かります。
FFT結果から奇数次の高調波が見られます。THDは3.2%です。
THDをさらに改善するためにはどうすれば良いでしょうか。
より強力なフィードバックをかけるためにオペアンプのGB積をそのままにDCオープンループゲインを120dBに上げてみます。
THDは全く改善されず3.2%です。なぜなら1kHzでのフィードバック量は変化していないためです。
今度はDCオープンループゲインを変えずにGB積を10倍の100MHzに上げてみます。単純な1ポールのオペアンプなので1kHzのゲインも約10倍に上がります。
THDは0.35%と約10分の1に改善されます。ACの歪み率を改善を狙う場合はGB積を重視したほうが良いことが多いです。
オペアンプは安定性を確保するために高周波においてゲインが下がりユニティゲイン周波数で0dBとなります。つまりユニティゲイン周波数付近ではフィードバックによるTHDの改善が一切望めません。このため一般的に高周波においてTHDは悪化します。
出力段によるスイッチング歪
適切に設計されたアンプを定格範囲内で使用する場合、最も大きな歪みの要因になることが多いのが出力段の歪みです。
エミッタフォロアで抵抗負荷をドライブする回路を示します。
エミッタフォロアは入力に対してほぼ1倍の電圧を出力する回路ですがコレクタ電流が0に近づくと動作しなくなり、非直線性が増加します。
正弦波を入力した場合もコレクタ電流が0になる(カットオフする)ときに出力波形が歪むのが分かります。
現実のアンプとしてはnpnトランジスタとpnpトランジスタを組み合わせてプッシュプル構成とすることによって片側が動作していない場合もう片側が補うように動作します。
入力信号が0Vのときどちらのトランジスタもカットオフしない程度のバイアスを与えて(AB級動作)させていても振幅が大きい場合や出力電流が大きい場合には片側のトランジスタのカットオフするのでTHDが若干悪化するのは避けられないです。
スイッチング歪みはA級動作や擬似A級動作をすることによって回避できますが、消費電力の増大や回路が複雑になるといった問題が起こります。
空乏容量による歪
スイッチング歪みを除去しても残る増幅回路の主要な非直線性として空乏容量に起因するものがあります。
逆バイアスされたpn接合やmosfetのチャネルでは電流の素となるキャリアの存在しない空乏層ができます3。
空乏層は絶縁体となるのでSiの誘電率と空乏層幅からなるコンデンサであると見なすことができます。このコンデンサを空乏容量と呼びます。空乏層の長さは両端の電圧によって変化します3。つまり印加する電圧によって容量が変化します。可変容量ダイオードという素子はこの原理を利用しています。普通の小信号用pn接合ダイオードやトランジスタのコレクタ-ベース間でも電圧によって容量の変化が見られます。
空乏容量による歪みを調べるため以下の回路を準備しました。
DC領域でフィードバックをかけていますが100kHzではG1の相互コンダクタンスとQ1の寄生容量によって出力が決定されます。
Q1以外の回路素子は全て理想素子で、Q1はベース接地されているので出力波形はコレクタ電位に依存する非直線性によってのみ歪みます。Q1のコレクタ-ベース間は逆バイアスされておりQ1のコレクタノードは空乏容量Cobがによって電圧源V2を経由してGNDに接続されています。
コレクタ電圧が変化するとCob容量が変化してCob充電電流がGNDに抜けるため回路に歪みが発生します。THDは0.47%となりました。
対策としてエミッタフォロアを追加してCob充電電流を還流します。Q2によってQ1のコレクタからCobを通してGNDに抜ける電流が還流されるのでCobによる非直線性が打ち消されます。オープンループゲインを揃えるためC3を追加しました。
THDは0.0008%と大きく改善しました。
回路の歪みを打ち消す手法は他にも多くの種類があるので詳しくは参考文献をご覧ください。
参考文献
Douglas Self, Small Signal Audio Design, 2010, Focal Press
黒田徹, 解析OPアンプ&トランジスタ活用, 2002, CQ出版