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機能する翻訳へ
技術翻訳であって文芸翻訳であっても、翻訳について議論するとき「合ってる」「間違ってる」といった誤訳のあげつらい合戦に終始してばかりで、なかなかそこから先に進む人がいないのはかえすがえすも残念。
翻訳は合ってないよりは合っている方がよいに決まっている。用語のばらつきもない方がよいに決まっている。
しかし量が多ければどうしても何らかの間違いは混入するものであり、それを減らすことはできてもゼロにはできない。「3行以上のコードには必ずバグがある」のと同じ。
お前は今まで自分が書いてきた文章を全部覚えているのか?
なお幕末に翻訳された解体新書はちょっとやそっとでは済まないほど誤訳だらけだったいう。翻訳とは違うけど、漢文で書かれた日本最初の正式な歴史書である「日本書紀」も、ネイティブ中国人(おそらく留学生)の書いたちゃんとした漢文と、日本人が必死で書いた残念な漢文が入り混じっているのだそうだ。
自分が問題にしたいのはそこから先である「その訳文って機能するの?」という点。
自分の考える「機能する翻訳」とは
- その文を読んだ人が適切に行動できる。
- その文を読んだ人をとりこにする。
- その文を読んだ人の行動を変える。
- その文を読むときに邪魔な引っかかりがない。
要するに、読む人の行動に何ら影響しない、適切な行動を促せない文は、機能していないということ。
このように考えることで、ユーザーインターフェースの翻訳も、ヘルプドキュメントの翻訳も、マーケティング翻訳も、(極端に言えば文芸・詩の翻訳であっても)同じ観点で評価することができる。
そして訳文を自分で見なおして修正するときも、常にこの観点で評価することで評価軸がぶれないようにできる。
ついでに言えば、世の翻訳者の8割は文芸趣味に毒されすぎていて、こうした観点をほぼまったく持ち合わせていない。
ということを自分に言い聞かせているのでしたとさ。どっとはらい。
例: Ask forgiveness than permission
3M社の社是であるらしい上の言い回しがあちこちで「許可より謝罪」として流通し始めているけれど、「謝罪」という響きはあまりに重すぎるし、これを読んだ人がむしろ縮こまってしまう可能性の方が高い。「許可より謝罪」は、間違っていないということ以外に価値がなく英語で何と書いてあるのかを解読したに過ぎず、何よりイケてない。
これなら「やりたいことがあったら勝手に始めてしまえ。後でゴメンで済ませろ。」とする方がずっと気楽だし、「上の許可を取り付けるなんざ、時間の無駄無駄」という本来の意図が伝わると思う。もっと短くして「ゴメンで済ませろ」ならなおよい。
そんなカジュアルな表現では会社でおおっぴらに使えないとお悩みの方には「プロジェクト立ち上げの事後承諾を認める」とでもすればよい。