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zoldofは何者なのか?ORへの接続と「業務」という言葉の限界

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冒頭はGptとの対話を元に自筆

zoldofは何者なのか?

改めて再定義すれば、「思考を切り売りする人」と表せます。
仕事に割り当てるなら「数理最適化をする人」すなわち[より速いやり方,より失敗しにくい方法,より楽な選択肢]を模索することに長じています。

OR(オペレーションズ・リサーチ)への接続

最適化を進めるにあたり知っておくと良い概念を模索する中で、OR(オペレーションズ・リサーチ)というものを知るに至りました。
この概念は、まさしく数学やアルゴリズムを駆使する分野です。
BtoCもBtoBも、もしくは[職務遂行,トラブル対応,人員配置]などの様々な意思決定に必要となるプロセスです。
なぜ自身がアルゴリズムに興味を持ち、深く探求し続けてきたのか?ようやく合点がいきました。
機械工学に興味を持っていたという初動。
転じてプログラミングに興味を持ち始めた動機。
システムを作る側に回ろうとしつつも、頭の中では具体的な現場の動きに焦点を当て続けてきました。

「現場の動き=実際の作業で何が課題となるか?」と[自身の特性]

私は短い期間ではあるもののパナソニックの工場に勤めていたことがあります。
先輩方に教わった現場知(暗黙知)とでも言うべき改善文化を肌身で感じることができました。
しかし、残念なことに、自身の特性によって役割を全うすることは出来ませんでした。
私の主な特性とは[愛着形成の難しさ,感情的即応性,技能向上欲求]です。
愛着形成と技能向上の部分によって、何が問題になるかと言えば、現場の熟練技術者の反感を買う結果となることです。

現場知と序列、知識の集積によって成り立つ組織にとって、外部から取り入れられる効率化を主体とした個人は脅威になり得ます。
組織としては活用の難しい効率化主体は排除対象にせざるを得ません。
その代わりORによって得られた改善を組織全体で吸収する試みは成されているのかもです。
特に私のように、組織に溶け込むのが難しい場合には[疎外,排除]の傾向は強まる印象です。
ただ、ひとつだけ言えることは「まだ、改善の途中だったのに・・・」という切実な思いがあることです。
健康面で言えば、身体工学であり、工程管理で言えば、ECRSであり、改善文化の中では、より細かな観察眼(身体の細かな動かし方等)を持ち合わせています。
観察眼は感情的即応性にも影響する部分があり、良く言えば相手の気持ちを察することに繋がりますが、悪く言えば内情に深入りする傾向があります。

組織としては、あるレベルまで問題なく業務が遂行できれば「さらなる効率化」を求める意味は小さいのかもしれません。
ましてや、人口減少社会において組織内で摩擦が生じることを何よりも避けたい。
人に辞められたら困るわけです。
決められた分量を決められた速度でこなして欲しいというのが、企業の本音であり当たり前になっていると思います。
自身としては、企業の本音に真っ向から対立していたのかな?という印象です。
勤務条件確認の甘さが露呈しています。

自身の場合は愚かですので、摩擦が生じることを理解しないまま[求められた仕事]を[より速く、より良い品質]で遂行することばかり追い求めすぎていました。
利口な人は、摩擦を理解したうえで自身の能力を抑制しながら、周りと上手くやっていく術に長けています。

研究職とシステムツールの話に移ります。
*Gptとの対話を元に自筆

研究とエンジニアリング

論文発表への想定

自身の研究職への展望は、早い段階で断たれていた可能性があります。
数学が得意だから、その研究室に行くという選択肢も本来ならば選んでもいいものですが、自身の場合にはやらなかった。
やはり、現場に興味が強かったという性質を如実に表しているのだと思います。
(一方で、大学のサークルに顔を出し会議に参加することは嫌っていましたが。。。)
改善主体の色が強すぎて、より伝わりやすい手法であったり、そのための根回しであったり、同僚との関係性の深め方であったりとか、教授との接し方とか、課題は多くありました。
学会で評価されるための研究は、なんでも自身の自由にテーマ設定できるわけではないでしょうし、周りの人と歩調を合わせることが何より重要なのでしょう。
まだまだ、未開拓分野ではありますが、現状の想定としては雲の上の存在すぎて、何をやっているのか想像しにくいです。
研究室ひいては教授の権威を向上させるとか、大学内での序列や、研究分野内での競争、それらに打ち勝つために「やりたくない研究もやらないといけない」「嘘ではないけど、証拠として集めた情報が非現実的な標本になる」といった事態も想定していました。
実質的な研究活動に行き着く前に、同僚や教授との関係性を円滑かつ良好に保てる能力を持った人が活躍できるのだと推察しています。
(自身は卒研の段階で「あ〜、無理だ」になってしまっていたので、説得力ないですが)

システムツールの立ち位置

OR分野は密接にシステムツールと関連しています。
しかし、上述のように現場知との関連性も無視できません。
自身の思い描く、アルゴリズム→プログラミング→エンジニアリングといった具合の応用可能性は間違いではありませんが、別軸も存在するという話です。
システムツールはエンジニアリングを構成する主要な要素であり、システムツールを動かすためにプログラミングがあるとの理解です。

ORを現場で正しく動かすためには、現場知が必須です。
いくらツールで「ここでボタンを押せば問題ありません」と言われたとて何か並列の処理を行う必要がある場合、どの処理を優先するのかまでツールは教えてくれません。
日々の発注や稼働の状況によって左右されるからです。
自身は工程管理の深い事情まで理解しておりませんが、推察するにシステムとの齟齬は現場知で補わざるを得ないでしょうし、だからこそ、熟練者の必要性が担保される仕組みでもあるかと思います。

余談

自身は、倉庫や工場の派遣やスキマバイトを多く経験してきました。
システムで吸収できない部分はどうしてもあるでしょうし、事実、どの現場も「その形を設計しているのだな」との印象は強いです。
日本の場合には、特に業種ごとに限られた製品に対して、限られたプログラムを扱う設計を主としています。
雇用を担保するための施策で、海外勢の参入障壁になる一方で、分野横断的に活躍できる人材を産み出しにくい構造でもあります。

最後に業務効率化の話(Gptによる作成)

「業務効率化」という言葉は何を壊し、何を隠したのか

問題意識:なぜ「業務効率化」は議論を曖昧にするのか

「業務効率化」という言葉は、目的・対象・手段を一語で包み込む強い包括性を持っています。その結果、何を改善したいのか、どこに無駄があるのか、なぜそれが問題なのかが分解されないまま議論が進みがちです。便利な言葉である一方、分析対象としては扱いにくい側面があります。本稿では、この言葉が成立した歴史的背景と、日本的組織文化との摩擦構造を整理し、なぜ効率化が空洞化しやすいのかを構造的に考察します。

業務効率化の源流:能率思想から包括語へ

業務効率化の源流は、アダム・スミスの分業論やテイラー主義に代表される近代の能率思想にあります。当初の効率化は、作業工程や身体動作といった測定可能な対象を分解し、最適化する試みでした。しかしホワイトカラー化と情報化が進むにつれ、判断・調整・説明といった抽象的活動が主業務となり、従来の分解手法は適用しにくくなります。その結果、「業務」という曖昧な対象を一括して改善を要請する言葉として、「業務効率化」が定着しました。

「業務」という言葉がもたらした対象化

「業務」という言葉は、仕事を切り出し可能で説明可能な対象へ変換します。これはIT化や管理会計と相性が良い一方で、日本企業が長年依拠してきた暗黙の調整や場への配慮を、記述しにくい領域へ押し出しました。重要なのは、文化的態度そのものが消えたのではなく、評価や正当化の言語から排除された点です。その結果、暗黙は実務上は残存しながら、公式には存在しないものとして扱われ、学習や継承が難しくなりました。

包括化を求める組織合理性

業務効率化が分解されにくいのは、怠慢ではなく組織合理性によるものです。業務を分解すれば、前提条件や責任の所在、不要な業務の存在が可視化されます。これはマネジメント層、現場中間層、外部ベンダーのいずれにとっても政治的リスクを伴います。そのため、包括語によって問題を包み込み、因果関係を曖昧にしたまま改善を宣言する方が、短期的には安全と判断されやすいのです。ただしその代償として、失敗からの学習や本質的な改善は阻害されます。

個人最適と組織不全の非対称性

個人レベルでは、仕事の分解や効率化は歓迎されやすい傾向があります。裁量と因果関係が近く、成果が比較的即時に返ってくるためです。一方、組織レベルでは、効率化の利益は分散し、調整コストやリスクは特定の個人に集中します。この非対称性により、合理的な個人の集合が、非合理な全体を生み出します。特に「強い個人」は模倣される一方で、標準化の担い手や例外処理係にされ、疎外されやすくなります。

暗黙を壊さずに業務を定義するために

解決の方向性は、業務と文化的態度を同一階層で扱わないことにあります。業務は「誰がやっても同じ結果になる部分」に限定して定義し、手順や責任境界を明確化します。一方、気配察知や先回りといった態度は業務化せず、業務が成立する前提条件として扱います。強い個人の役割は、やり方を説明する翻訳者ではなく、どこまで業務化すると壊れるかを示す境界感知装置として位置づけるべきです。

結論:業務効率化の射程を狭める

業務効率化の問題は、効率化そのものではなく、「業務」という言葉の無差別な拡張にあります。日本的な文化的態度を維持するためには、効率化を否定するのではなく、効率化が触れてよい領域を意図的に狭める必要があります。業務を軽く純化することで、効率化は初めて実効性を持ち、暗黙の知は壊されずに残ります。これは改革というより、言語と構造の再配置の問題だといえます。

おわりに

この記事を投稿することで、何を期待するのか?
ひとつめに自己紹介の更新。就活にそのまま活用するつもりです。
また、出来るだけ自身のような業種職種アンマッチが減ることです。
もしくは、同じような悩みを持つ人が自身の特性に気付くきっかけになることです。
さらに、「常に安定」は幻想であり、「何を変えないといけないか?」「どう変えないといけないか?」「何を変えなくてもいいか?」を常に意識して行動に移さないと、(老荘思想にも通じる)自然の摂理に反するという警鐘です。
改善文化にもう一度、目を向けながら、システムツールとの共存を見直す中で、無理のない管理計画を立てていく手助けになれば幸いです。

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