はじめに
TES の小信号理論を勉強すると、多くの学生が最初にぶつかるのが Irwin & Hilton の 2.3 節である。そこでは、熱方程式、電気回路方程式、抵抗の線形化、Joule power の線形化、電熱フィードバック、電流応答、複素インピーダンスが一気に導入される。
数式を順に追えば、形式的には理解できたように見える。しかし、実際には次のような疑問が残りやすい。
- なぜこの微分方程式を立てるのか。
- なぜ $T$ と $I$ を状態変数にするのか。
- なぜ $R(T,I)$ を Taylor 展開するのか。
- $\tau_{\rm el}$, $\tau_I$, $\tau_\pm$, $\tau_{\rm eff}$ は何が違うのか。
- 電熱フィードバックで時定数が速くなる話はどこに入っているのか。
- 最終的にエネルギー分解能を評価するには、何を計算しているのか。
本稿では、Irwin & Hilton の 2.3 節を「式の暗記」ではなく、方法論として読むことを目標にする。
Irwin & Hilton は、2.3 節で TES の電気・熱応答を記述する二つの連立微分方程式を立て、それを定常バイアス点のまわりで小信号線形化し、パルス応答、パワー応答、複素インピーダンスへ進んでいる。さらにこの流れは、後続の安定性、ノイズ、NEP、エネルギー分解能の評価へ直接つながっている。
この記事の概要
1. 2.3 節の目的は何か
Irwin & Hilton の 2.3 節の目的は、単に TES の電流パルスを計算することではない。より本質的には、
TES を、熱自由度と電気自由度が結合した二自由度の線形応答系として定式化すること
である。
TES は、単なる抵抗でも、単なる温度計でもない。温度 $T$ が変わると抵抗 $R$ が変わり、抵抗が変わると電流 $I$ が変わり、電流が変わると Joule heating $P_J=I^2R$ が変わり、さらに温度が変わる。
つまり、TES は
\delta T
\longleftrightarrow
\delta R
\longleftrightarrow
\delta I
\longleftrightarrow
\delta P_J
\longleftrightarrow
\delta T
というループを持つ。
このループが electrothermal feedback, ETF である。
したがって、TES の応答を理解するには、熱だけを見てもだめで、電気だけを見てもだめである。熱と電気を同時に状態変数として扱う必要がある。
そのため Irwin & Hilton は、状態変数として
T(t),\qquad I(t)
を選ぶ。この選択が 2.3 節全体の出発点である。
2. まず回路をどう見るか
Irwin & Hilton は、TES の実際のバイアス回路を、TES から見たテブナン等価回路として扱う。彼らの Fig. 3 では、もとの入力回路と、そのテブナン等価表現が示されている。
そこでの説明では、TES bias circuit は、テブナン等価回路として、電圧 $V=I_{\rm BIAS}R_{\rm SH}$、負荷抵抗 $R_L=R_{\rm SH}+R_{\rm PAR}$、インダクタンス $L$、TES の直列回路として表される。
ここで非常に重要な注意がある。
Irwin & Hilton の $R_L$ は、
R_L = R_{\rm SH}+R_{\rm PAR}
である。
これは、実験室で電流源に直列に入れている数 k$\Omega$ 程度の バイアス抵抗や load resistor を意味しているわけではない。
多くの実験系では、室温や高温段側に定電圧源と大きなバイアス抵抗 $R_{\rm load}$ を置き、ほぼ電流源として低温回路にバイアス電流を供給する。その上で、低温側のシャント抵抗 $R_{\rm SH}$ によって TES が電圧バイアスされる。
したがって、Irwin & Hilton の式に出てくる $R_L$ は、実験装置上の大きな $R_{\rm load}$ ではなく、
TES 端子から見た低温側のテブナン等価負荷抵抗
である。
この点を間違えると、電熱フィードバック、時定数、安定性、複素インピーダンス、ノイズ評価がすべてずれる可能性がある。
教育的には、次のように記号を分けた方が安全である。
- 室温側または高温側の大きなバイアス抵抗 : $R_{\rm load}^{\rm room}$
- 低温側のシャント抵抗 : $R_{\rm SH}$
- TES 枝に直列に入る寄生抵抗 : $R_{\rm PAR}$
- Irwin & Hilton のテブナン等価回路で使われる負荷抵抗 : $R_L^{\rm I, H} = R_{\rm SH}+R_{\rm PAR}$
3. 電気方程式の心
Irwin & Hilton の電気方程式は、テブナン等価回路を使って
L\frac{dI}{dt}
=
V
-
IR_L
-
IR(T,I)
と書かれる。
この式の心は非常に単純である。
左辺はインダクタンスによる電流変化への抵抗である。
L\frac{dI}{dt}
右辺は、外部から与えられたテブナン電圧 $V$ から、負荷抵抗での電圧降下 $IR_L$ と TES での電圧降下 $IR(T,I)$ を引いたものである。
つまり、
\text{電流を変えようとする余りの電圧}
=
\text{インダクタンスが受け持つ電圧}
という KVL(キルヒホッフの電圧則) である。
ここで $R(T,I)$ と書くのが重要である。TES 抵抗は単なる定数ではない。温度と電流に依存する。したがってこの電気方程式は、見かけ上は回路方程式だが、すでに熱と結合している。
4. 熱方程式の心
熱方程式は
C\frac{dT}{dt}
=
-P_{\rm bath}
+
P_J
+
P
である。
これはエネルギー保存そのものである。
左辺は TES と吸収体を含む熱容量 $C$ の温度変化である。
C\frac{dT}{dt}
右辺には三つの項がある。
- 熱浴へ逃げる熱 : $-P_{\rm bath}$
- TES 内部で発生する Joule heating : $P_J$
- X線光子や外部光などによる信号入力パワー : $P$
したがって、この式は
\text{TES 内部エネルギーの増加率}
=
\text{入ってくる熱}
-
\text{出ていく熱}
である。
TES の特徴は、ここに
P_J=I^2R(T,I)
が入る点である。Joule heating は電流と抵抗に依存し、抵抗は温度と電流に依存する。したがって熱方程式もまた、電気方程式と結合している。
5. なぜ小信号近似をするのか
ここまでで得られた方程式は非線形である。なぜなら、
R=R(T,I)
であり、
P_J=I^2R(T,I)
だからである。
このままでは解析的な見通しが悪い。そこで Irwin & Hilton は、TES がある定常バイアス点のまわりで動作していることに注目する。
定常値を
T_0,\qquad I_0,\qquad R_0
とする。
そして、
T(t)=T_0+\delta T(t)
I(t)=I_0+\delta I(t)
R(t)=R_0+\delta R(t)
と分ける。
ここで小さいのは $T$ や $I$ そのものではなく、定常値からの変化分である。
この操作の物理的な意味は、
TES の非線形な転移曲線全体を扱うのではなく、現在のバイアス点のまわりの接線で局所的に近似する
ということである。
したがって、小信号近似とは単なる数学的便法ではなく、バイアス点まわりの線形応答理論である。
6. どの変数を定義するべきか
Irwin & Hilton は、抵抗の温度感度と電流感度を
\alpha_I
=
\left.
\frac{\partial \log R}{\partial \log T}
\right|_{I_0}
=
\frac{T_0}{R_0}
\left.
\frac{\partial R}{\partial T}
\right|_{I_0}
\beta_I
=
\left.
\frac{\partial \log R}{\partial \log I}
\right|_{T_0}
=
\frac{I_0}{R_0}
\left.
\frac{\partial R}{\partial I}
\right|_{T_0}
と定義する。
これらは単なる記号ではない。
$\alpha_I$ は、温度が少し変わったときに抵抗がどれだけ変わるかを表す。TES が高感度温度計として働く理由は、転移端で $\alpha_I$ が大きいからである。
$\beta_I$ は、電流が少し変わったときに抵抗がどれだけ変わるかを表す。現実の TES では、抵抗は温度だけでなく電流にも依存する。そのため、電流依存性を無視すると、応答や安定性の評価が不正確になることがある。
この定義により、抵抗変化は
\delta R
=
R_0
\left(
\alpha_I\frac{\delta T}{T_0}
+
\beta_I\frac{\delta I}{I_0}
\right)
と書ける。
この式の心は、
TES 抵抗の微小変化は、温度変化による寄与と、電流変化による寄与に分けられる
ということである。
7. Joule power の線形化が ETF の入口である
Joule power は
P_J=I^2R
である。
これを定常点まわりで一次まで展開すると、
P_J
\simeq
P_{J0}
+
2I_0R_0\delta I
+
I_0^2\delta R
となる。
さらに $\delta R$ を代入すると、
\delta P_J
=
P_{J0}
\left[
\alpha_I\frac{\delta T}{T_0}
+
(2+\beta_I)\frac{\delta I}{I_0}
\right]
である。
この式は非常に重要である。
第一項
P_{J0}\alpha_I\frac{\delta T}{T_0}
は、温度変化によって抵抗が変わり、Joule heating が変わる効果である。
第二項
P_{J0}(2+\beta_I)\frac{\delta I}{I_0}
は、電流変化によって Joule heating が変わる効果である。
TES の電熱フィードバックは、この $\delta P_J$ が熱方程式に戻ることで生じる。
ここで注意すべきなのは、$\delta P_J$ の式だけを見て「正帰還」か「負帰還」かを判断してはいけない、ということである。符号は、電気回路を通じて $\delta I$ が $\delta T$ にどう応答するかまで含めて決まる。
電流バイアスなら $\delta I\simeq0$ なので、温度上昇は $R$ 増加を通じて Joule heating を増やす。これは正帰還である。
電圧バイアスなら、温度上昇で $R$ が増えると電流が下がり、Joule heating が減る。これは負帰還である。
同じ $\alpha_I$ と同じ Joule power でも、バイアス条件によってフィードバックの符号が変わる。
8. ループゲインの心
ループゲイン : $\mathcal{L}_I$
Irwin & Hilton は
\mathcal{L}_I
=
\frac{P_{J0}\alpha_I}{GT_0}
を定義する。
これは constant-current loop gain と呼ばれる。
この量は、
\frac{\text{温度変化が Joule power を変える強さ}}
{\text{熱浴が温度変化を戻す強さ}}
を表している。
実際、
P_{J0}\alpha_I\frac{\delta T}{T_0}
は温度変化による Joule power の変化であり、
G\delta T
は熱浴へ逃げる熱流の変化である。
したがって比を取ると、
\frac{P_{J0}\alpha_I\delta T/T_0}{G\delta T}
=
\frac{P_{J0}\alpha_I}{GT_0}
=
\mathcal{L}_I
になる。つまり $\mathcal{L}_I$ は、
TES の自己発熱が、熱浴による復元力に比べてどれだけ強いか
を表す無次元量である。
ここで添字 $I$ が付いているのは、定義が constant-current 的な微分に基づいているからである。しかし、この量はその後、電圧バイアス下の小信号方程式にも現れる。これが学生を混乱させる一因である。
9. 線形化された二つの方程式
Irwin & Hilton は、線形化後に次の二つの連立微分方程式を得る。
\frac{d\delta I}{dt}
=
-
\frac{R_L+R_0(1+\beta_I)}{L}\delta I
-
\frac{\mathcal{L}_IG}{I_0L}\delta T
+
\frac{\delta V}{L}
\frac{d\delta T}{dt}
=
\frac{I_0R_0(2+\beta_I)}{C}\delta I
+
\frac{1-\mathcal{L}_I}{\tau}\delta T
+
\frac{\delta P}{C}
ここで
\tau=\frac{C}{G}
は電熱フィードバックがないときの自然な熱時定数である。
この二つの方程式こそ、2.3 節の中心である。
第一式は、温度変化が抵抗変化を生み、それが電流を変えることを表す。
第二式は、電流変化が Joule heating を変え、それが温度を変えることを表す。
つまり、この二つの式は
\delta T \rightarrow \delta I
と
\delta I \rightarrow \delta T
の相互作用を表している。
この相互作用こそが TES の電熱フィードバックである。
10. tau_el と tau_I は何のために出てくるのか
$\tau_{\rm el}$ と $\tau_I$
Irwin & Hilton は、まず二つの基準時定数を定義する。
電気時定数は
\tau_{\rm el}
=
\frac{L}{R_L+R_0(1+\beta_I)}
である。
これは、熱との結合を無視したとき、電気回路だけで電流がどのくらいの時間で変化するかを表す。
一方、hard current bias、つまり $\delta I=0$ の極限では、熱方程式から
\tau_I
=
\frac{\tau}{1-\mathcal{L}_I}
が出てくる。
これは電圧バイアス下で速くなった時定数ではない。
$\tau_I$ は、電流が固定された場合の熱時定数である。電流固定では
P_J=I^2R
なので、温度が上がって抵抗が増えると Joule heating も増える。これは正帰還である。
したがって $\mathcal{L}_I>0$ では時定数は長くなり、$\mathcal{L}_I>1$ では
\tau_I<0
となり、熱暴走を示す。
では、なぜこの $\tau_I$ を導入するのか。
理由は、Irwin & Hilton が TES を二自由度の結合系として扱っているからである。
線形化方程式は概念的に
\frac{d}{dt}
\begin{pmatrix}
\delta I\\
\delta T
\end{pmatrix}
=
-
\begin{pmatrix}
1/\tau_{\rm el} & \text{熱から電気への結合}\\
\text{電気から熱への結合} & 1/\tau_I
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
\delta I\\
\delta T
\end{pmatrix}
+
\text{入力}
の形をしている。
つまり、
\tau_{\rm el},\qquad \tau_I
は、結合行列の対角成分を読みやすくするための基準時定数である。
11. 本当に観測される時定数は tau_+ と tau_-
$\tau_+$ と $\tau_-$
実際の TES では、$\delta I$ と $\delta T$ は結合している。したがって、観測されるパルス応答の時定数は、$\tau_{\rm el}$ や $\tau_I$ そのものではない。
線形連立方程式を対角化すると、二つの固有時定数
\tau_+,\qquad \tau_-
が現れる。
これらが、TES の実際の二つのモードである。
Irwin & Hilton の式では、$\tau_+$ と $\tau_-$ は、行列の固有値として定義される。物理的には、一方は主に電気的な立ち上がり、もう一方は主に熱的な緩和を担う。ただし、インダクタンスが大きい場合には両者が強く混ざり、単純に「電気」「熱」と分けられなくなる。
低インダクタンス極限では、
\tau_+ \to \tau_{\rm el}
\tau_- \to \tau_{\rm eff}
となる。
ここで
\tau_{\rm eff}
=
\tau
\frac{1+\beta_I+R_L/R_0}
{1+\beta_I+R_L/R_0+(1-R_L/R_0)\mathcal{L}_I}
である。
これが、よく言う 電圧バイアス下の負の電熱フィードバックで短くなった熱時定数である。
理想電圧バイアス
R_L\ll R_0
かつ $\beta_I\to0$ の極限では、
\tau_{\rm eff}
\simeq
\frac{\tau}{1+\mathcal{L}_I}
となる。
したがって、
\tau_I=\frac{\tau}{1-\mathcal{L}_I}
と
\tau_{\rm eff}\simeq\frac{\tau}{1+\mathcal{L}_I}
は、似ているが全く違う量である。
前者は hard current bias の正帰還的な熱時定数であり、後者は voltage bias の負帰還的な有効熱時定数である。
12. パルス応答をなぜ解くのか
TES カロリメータで最終的に測りたいのは、入射光子のエネルギーである。
X線光子が吸収されると、まず TES/吸収体の温度が瞬間的に上がる。小信号近似では、
\delta T(0)=\frac{E}{C}
と考える。
一方、入射直後の電流変化は
\delta I(0)=0
と置くことが多い。これは、熱化は速いが、電流はインダクタンスを通じて有限時間で応答するからである。
Irwin & Hilton はこの初期条件から、電流応答
\delta I(t)
\propto
e^{-t/\tau_+}
-
e^{-t/\tau_-}
の形を導く。
この形は非常に重要である。
\tau_+
はおおむね立ち上がりを決め、
\tau_-
はおおむね減衰を決める。
低インダクタンス極限では、電流パルスは電気時定数で立ち上がり、有効熱時定数で減衰する。
つまり、TES パルスは単なる熱指数減衰ではなく、
電気自由度と熱自由度が結合した二つの指数関数の差
として現れる。
13. パワー応答をなぜ計算するのか
パルス応答は、カロリメータとしてのエネルギー応答を理解するために重要である。
一方、ボロメータとして連続的な入射パワーを測る場合や、ノイズを入力換算する場合には、周波数空間での応答が必要になる。
そこで Irwin & Hilton は、入力パワーに対する電流応答
s_I(\omega)
=
\frac{\delta I(\omega)}{\delta P(\omega)}
を導く。
この $s_I(\omega)$ は power-to-current responsivity である。
物理的には、
入力パワーの揺らぎが、TES 電流の揺らぎとしてどれだけ見えるか
を表している。
ノイズ評価では、この応答度が非常に重要になる。なぜなら、出力電流ノイズを入力パワーに換算するには、
\text{入力換算ノイズ}
=
\frac{\text{出力電流ノイズ}}{|s_I(\omega)|}
とする必要があるからである。
したがって、応答度 $s_I(\omega)$ は、NEP やエネルギー分解能へ進むための橋渡しである。
14. 複素インピーダンスをなぜ計算するのか
Irwin & Hilton はさらに、電圧励起に対する電流応答から複素インピーダンスを導く。
Z(\omega)
=
\frac{V_\omega}{I_\omega}
である。
通常の抵抗なら、これは単に $R$ である。しかし TES では、電圧を少し揺らすと、電流が変わり、Joule heating が変わり、温度が変わり、抵抗が変わり、再び電流が変わる。
そのため、TES の複素インピーダンスは、熱系を含んだ動的な電気応答になる。
Irwin & Hilton は、複素インピーダンスを
Z(\omega)
=
R_L+i\omega L+Z_{\rm TES}(\omega)
のように整理している。
ここで $Z_{\rm TES}(\omega)$ には、TES 自身の動的応答が含まれる。
複素インピーダンスは実験的にも非常に重要である。なぜなら、パルス応答だけからでは分かりにくい
\alpha_I,\quad \beta_I,\quad \mathcal{L}_I,\quad \tau_I,\quad L
などの線形パラメータを、周波数応答として推定できるからである。
つまり、複素インピーダンス測定は、
TES を電気的に揺らして、その背後にある熱応答を読む方法
である。
15. 最終的にエネルギー分解能を評価するには何が大切か
TES カロリメータで一番知りたい性能指標は、最終的にはエネルギー分解能である。
では、エネルギー分解能を評価するために何が必要か。
大きく言えば、必要なのは二つである。
第一に、信号波形である。
\delta I_{\rm signal}(t)
または周波数空間で
\delta I_{\rm signal}(\omega)
である。
これは、2.3 節で求めるパルス応答や power-to-current responsivity から得られる。
第二に、ノイズスペクトルである。
S_I(\omega)
である。
これは後続の 2.6 節で、TFN、TES Johnson noise、load noise、SQUID noise などを小信号方程式に通して計算する。
エネルギー分解能は、概念的には、
既知の信号テンプレートが、周波数ごとのノイズの中でどれだけ精密に振幅推定できるか
で決まる。
最適フィルタの考え方では、信号対雑音比はおおまかに
\int
\frac{|s(\omega)|^2}{S_I(\omega)}
\,d\omega
のような量で決まる。
つまり、エネルギー分解能をよくするには、
- 信号応答が大きいこと
- ノイズが小さいこと
- 信号がノイズの少ない周波数帯にあること
- 熱時定数と電気時定数が適切で安定であること
- インダクタンスが大きすぎて応答を劣化させないこと
- ETF が強すぎても不安定にならないこと
が重要になる。
Irwin & Hilton が 2.3 節で $\tau_\pm$, $s_I(\omega)$, $Z(\omega)$ を丁寧に導いているのは、これらが後のノイズ評価とエネルギー分解能評価の土台になるからである。
16. 2.3 節はどこに向かっているのか
2.3 節の流れを一枚の地図として書くと、次のようになる。
実際の TES バイアス回路
↓
TES から見たテブナン等価回路
↓
電気方程式
L dI/dt = V - I R_L - I R(T,I)
熱方程式
C dT/dt = -P_bath + P_J + P
↓
定常点を決める
T0, I0, R0, PJ0
↓
小信号近似
T = T0 + δT
I = I0 + δI
R = R0 + δR
↓
αI, βI, ℒI, τ を定義する
↓
δI, δT の連立線形微分方程式
↓
二自由度系として対角化
↓
τ+, τ− が出る
↓
パルス応答
δI(t)
↓
パワー応答
sI(ω)
↓
電圧励起応答
Z(ω)
↓
安定性・ノイズ・NEP・エネルギー分解能へ
この流れを理解すると、2.3 節の式は単なる式の羅列ではなくなる。
各式は、次の問いに答えている。
- TES の状態変数は何か。
- 外部入力はどこから入るか。
- 温度変化はどのように電流変化へ変換されるか。
- 電流変化はどのように Joule heating へ戻るか。
- 熱と電気の二自由度は、どの固有時定数で応答するか。
- 入力パワーはどのくらい電流信号へ変換されるか。
- 電気的に揺らしたとき、TES はどのような複素インピーダンスに見えるか。
- ノイズを入れたとき、最終的なエネルギー分解能はどう決まるか。
17. 学生が特につまずきやすい点
つまずき 1:tau_I を速くなった時定数だと思ってしまう
\tau_I=\frac{\tau}{1-\mathcal{L}_I}
は、電圧バイアス下の速くなった時定数ではない。
これは hard current bias の時定数であり、$\mathcal{L}_I>1$ では不安定性を示す。
速くなった時定数は、低インダクタンス・電圧バイアス極限での
\tau_{\rm eff}
=
\tau
\frac{1+\beta_I+R_L/R_0}
{1+\beta_I+R_L/R_0+(1-R_L/R_0)\mathcal{L}_I}
である。
つまずき 2:L_I の添字 I に混乱する
$\mathcal{L}_I$ は constant-current 的な定義から来ている。しかし、それが電圧バイアス下の連立方程式にも現れる。
大事なのは、$\mathcal{L}_I$ 単独でフィードバックの符号が決まるわけではないということである。
電流が固定されるか、電圧が固定されるかで、Joule power の応答が変わる。
つまずき 3:R_L の意味を間違える
Irwin & Hilton の $R_L$ は
R_L=R_{\rm SH}+R_{\rm PAR}
である。
実験で使う大きなバイアス抵抗 $R_{\rm load}$ とは異なる。
TES 小信号理論の $R_L$ は、多くの場合、TES 端子から見たテブナン等価負荷抵抗である。この点を間違えると、理論と実験の比較がずれる。
つまずき 4:複素インピーダンスを単なる電気抵抗だと思ってしまう
TES の複素インピーダンスは、単なる電気抵抗ではない。
電圧を揺らすと、電流、Joule heating、温度、抵抗が連鎖的に変わる。そのため、複素インピーダンスには熱応答と電熱フィードバックが含まれる。
つまずき 5:エネルギー分解能の式だけを覚える
エネルギー分解能は、単独の魔法の公式ではない。
その背後には、
\text{信号応答}
と
\text{ノイズスペクトル}
がある。
2.3 節は信号応答を作る章であり、後続のノイズ理論と組み合わせて初めてエネルギー分解能に到達する。
18. この節を読むときのおすすめの順番
Irwin & Hilton の 2.3 節を読むときは、式番号順にただ追うよりも、次の問いを持って読むとよい。
まず、
いま何を状態変数にしているのか。
答えは $I$ と $T$ である。
次に、
入力は何か。
入力は、熱入力 $\delta P$ と電圧入力 $\delta V$ である。
次に、
出力は何か。
出力は主に $\delta I$ である。SQUID は TES 電流を読むからである。
次に、
何を線形化しているのか。
線形化しているのは、$P_{\rm bath}(T)$, $R(T,I)$, $P_J=I^2R$ である。
次に、
どこでフィードバックが生じるのか。
\delta T\to\delta R\to\delta I\to\delta P_J\to\delta T
のループである。
最後に、
何を最終的に知りたいのか。
信号応答、ノイズ応答、安定性、そしてエネルギー分解能である。
まとめ
Irwin & Hilton の 2.3 “TES electrical and thermal response” は、TES 小信号理論の中核である。
この節で行っていることは、次の一連の方法論である。
- TES から見たバイアス回路をテブナン等価回路として整理する。
- 電気方程式と熱方程式を立てる。
- TES 抵抗 $R(T,I)$ と Joule power $I^2R$ の非線形性を明示する。
- 定常バイアス点 $T_0,I_0,R_0$ のまわりで小信号線形化する。
- $\alpha_I$, $\beta_I$, $\mathcal{L}_I$, $\tau$ を定義する。
- $\delta I$, $\delta T$ の二自由度線形系として書く。
- 固有時定数 $\tau_+$, $\tau_-$ を求める。
- パルス応答、パワー応答、複素インピーダンスを導く。
- 後続の安定性、ノイズ、NEP、エネルギー分解能評価へ進む。
この節の心は、
TES は、熱と電気が結合した線形応答系として理解できる
ということである。
そして、その線形応答系を正しく作るためには、単に式を暗記するのではなく、
- 回路をどう等価化しているか
- $R_L$ が何を意味しているか
- どの量を定常値と微小変動に分けているか
- Joule power の変動がどの経路で熱方程式に戻るか
- 電流バイアスと電圧バイアスで ETF の符号がどう変わるか
を理解する必要がある。
特に、Irwin & Hilton の $R_L$ は
R_L=R_{\rm SH}+R_{\rm PAR}
であり、実験でよく言う大きなバイアス抵抗 $R_{\rm load}$ とは異なる。この対応を明確にしないまま理論式を実験パラメータに適用すると、TES の応答やノイズ評価が合わなくなる。
式の心を追うなら、2.3 節は「難しい式の羅列」ではなく、
実験回路から出発して、TES の信号応答とノイズ評価へ向かうための地図
として読むべきである。
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