自分は監視社会になるのが嫌で暗号を始めた動機があるわけですが、いざネットで暗号を使おうとすると嫌がる人が圧倒的多数です。
スノーデンは通信の大規模な監視が現実に行われているという事実を暴露しましたが、それでも世界は変わりませんでした。
大抵の人は、暗号を使わない理由を、自分には隠すべきことなんか何もないから、といいます。
でもその言葉は、私にはプライバシーの権利はありませんと否定しているのと同じように聞こえます。
憲法は通信の秘密や検閲の禁止などを規制し、プライバシーに関する権利を国民の権利としてこれを保証しています。
例えば電話をしているときに、当事者以外の第3社に干渉されたくないという場合です。
盗聴法や共謀罪のような監視国家のような法律も怖いです。
この恐怖が監視社会の効果なのでしょうか?
悪用されそうな技術(グレーゾーン技術)の開発に関しては何をしてはいけないかをもっと議論する必要があると思っています。
どこかで線引きをしない限り、監視する領域はどこまでも広がっていきます。
そして何より、より性能のいい監視カメラなど監視技術競争を繰り広げてきたのは技術者自身だという事です。
一体技術者は監視社会をどう感じているのでしょうか。
嬉々として国のやることに従っているのでしょうか。
これがすでに技術の危険な暴走のような気がしています。
技術者は自ら進んで監視社会というディストピアを作ろうとしているのでしょうか?
ジョージオーウェルの小説が思い浮かびます。
以前にもまして電話の会話の内容をとても気にする会社が増えた気がします。
何でも好きなことを話せる自由が今の社会から少しずつ減ってきているのを感じます。
監視されているがゆえに違法なことができない。
しかし何が違法なのかは国が決める。
まさにこの恐怖こそが恐怖政治、監視社会の効果なのかもしれません。
今使われているウェブは日常的にTLSなど無意識に暗号を使っているはずですが、目に見えて使っているわけではないので暗号で守られてる感はあまり感じないと思います。
電話にしてもメールにしても暗号化されていない通信のほうが多い気がします。
またTLSなどはwebに限って暗号化されているだけで、IP全体が暗号化されているわけではないし、更にクラウドなども暗号化されていません。
何を暗号化すべきかは自分でガイドラインを決める必要があります。
そして新しい暗号開発に否定的で、あるものを使っていればいいのだという意見もあります。
素人が作った暗号なんかガマの油だという事です。
かといって暗号技術を放棄するのはためらいを感じます。
作ることによってより詳しく暗号の仕組みを理解できるからです。
SNSを使うときは個人データが蓄積していくので、プライバシーを守るためにはSNSをやるなとスノーデンは言ってました。
今の日本を見て彼はどう思うでしょうか。