LoginSignup
12
7

More than 5 years have passed since last update.

「正しさ」ハラスメントの元記事を読んで、マサカリ大好き人間が思ったこと

Last updated at Posted at 2016-12-31

 皆さんこんにちは。大晦日ですね。 @emadurandal と申します。主にCGやWebGL界隈で浮いたり沈んだりしております。

 ここ数日、ある「はてな記事」がTwitterの技術屋さん界隈で話題になっています。

 不寛容社会とエンジニアの「正しさハラスメント」

 これについて、私いろいろ思うところがありまして、Twitterでいろいろつぶやいていたのですが、
 結構、同様に思う方がいらっしゃったのか、それなりにいいね・リツイートされたようです(と言っても、せいぜい数〜10回程度ですが)。

 Twitterだと流れてしまうので、せっかくだし備忘録的に自己まとめしてみようと思ったのがこの記事の発端です。Qiitaにも言及しているので、ならQiita記事としてまとめようと思ったりもw

前提

 何度も念のため言いますが、この記事は「正しさ」ハラスメントの元記事を書かれた方をディスる目的でまとめるものでは決してありません。
 これから紹介するツイートでも書いていますが、「感情」と「論理」は別物です。
 人は得てして、自分の意見が否定されると自己そのものが否定されたと感じてしまったり、その逆で、反論する者も勢い余って相手の人格をもディスってしまうこともありますが、それは悲しいことです。

 「正しさ」ハラスメントの元記事には、「確かに……そう感じることもあるかも」というような、一理あるかな、と思う部分もあり、すべてを否定できるものではありません。ただ、多くの技術者・研究者の方が反応したのは、「ハラスメント」という言葉を使って、「善意の指摘」というエンジニアの素晴らしい行いを封殺する意図が感じられたからだと思います。そこに、多くの方は危惧を感じたのです。

以後、手抜きのツイートのペーストの嵐ですw

 まぁ、ツイートが流れないように、という意味でのまとめなので。ここからただのコピペモードに入りますw ご了承くださいませ m(__)m

最初は、グチから始まった…。

あ、いや。最初はとあるslackでの出来事でちょっと感じた悩みを吐露していまして、そこからいろいろつらつら呟いているうちに……って感じでした。
 

なぜか猫語なのは気にせんといて!_(:3」∠)_

R&D Slackについての話題

ここら辺は完全に脇道ですね。いや、私 R&D Slackという、CG/ゲーム分野の研究開発に意欲のある方が集うSlackを運営しておりまして。そこで感じている悩みです。悩み多いなおいら。多感だなw
あ、 R&D Slack、共感する方はよかったら入ってください(宣伝もするしたたかさw)

そろそろ本題に

ようやく本題に入っていきます。

徐々に「日本人とは」みたいな話に……w

で、話題はQiitaに移る

Qiitaにおけるマサカリの意義について、つぶやきました。

なんか自分のツイート発言をQiitaで晒すとか…

 どんだけ自意識過剰なんだよ、という見方もできますなー _(:3」∠)_
 でも、そういう批判を恐れていたら、何もできないので。

 過程はどうあれ、自己主張や議論の後で、結果として互いに得るものがあった、学びがあった、というグッドエンドに至れるのが最良だと思っています。

 日本人はどうしても遠慮がちに、そして空気読めよ空気読まなきゃ的になってしまいますが、私個人の思いとしては、日本人のそうした気質は良い面もありますが、少なくともエンジニアリングの観点からは、機会損失の方がずっと大きいと感じています。

 どんどんポジティブな意味で互いに叩き合って、結果、後々の人たちのために良いアウトプットをインターネット上に残していけるなら、それが一番じゃないでしょうか。

余談、なんで日本人は議論が下手(?) なのか

いろいろ思うんですけど、私としてはこんな感じに考えています。

  • この日本人の気質は、島国であり、かつて単民族の農耕国家であったことから、言いたいことをいちいち明文化せずとも阿吽の呼吸で意図が伝わり、村の秩序を守るために相互監視を含む感情を含めた自治があったから
  • 対して、欧州や米国などの国々は、昔から異文化の民族同士の流動性が高く、正確に誤解なく自分たちの意図を相手に伝えるためには、思考を明文化して論理でやり取りをしないと物事がうまく運ばないという必要性・必然性があった。そのために議論慣れしてきたのでは?

 私の勝手な推測なので、もちろん推測外れかもしれませんが。どうなんでしょうねー?

 何かの本で読みましたが、こんな言葉があるそうです。

「1000人の日本人を従えるより、5人のアメリカ人を従える方が難しい。5人のアメリカ人を従えるより、1人のユダヤ人を従える方が難しい」 1

 なんか、日本人完全に侮られてますねw 誇張もあるのでしょうけど、でも、確かにそうなのかもしれません。

 日本人は、ディベートの練習をするということは、大学などで専門の過程を取らない限りまずありません。
 ディベートは「論理で相手を論破する戦い」ですが、争うのがそもそも苦手な日本人は多いでしょう。そういう気質があるとしたら、それはやむをえない面はあります。ディベートして勝った負けたがあったとしても、人格を否定しあったわけではないのですから、気にしなければいいんですが、それでも気にしてしまうのが日本人なのかもしれません。

 ただ、このQiita記事で長々と言ってきたのは、「相手を論理で打ち負かす」議論ですらなく、「技術的正しさを(優しく)指摘する」議論ですら、タブー視しようとする動きに対する危惧なのです。

 仮にその分野での初心者だとしても、エンジニアをやっている者であれば、それを負担に感じないくらいの最低限の心の強さ・柔軟性は保ちたいものです。
と言うより、エンジニアであれば、指摘を受けることで新しい知見が手に入るのであれば、「嬉しい」と感じませんか? むしろ「こいつうぜー!」とか「恥かかせやがって」と感じるタイプですか?

 人それぞれ、かもしれませんが。エンジニア・研究者を目指す者であれば、できればみんな前者であってほしい。
 これもまた、一つの価値観の押し付けになっちゃうのかもしれませんが、私個人の願いとしては、そんな風に思っています。

で、今日大晦日ですがw

 まぁ、新年明けまして早々にこんな記事を公開するよりは、2016年中に大掃除的な意味で大晦日に公開した方がいいですよね。ってことで、多少構成が荒いですが、見切り発車でこのQiita記事を公開します。

 なんにせよ、この話題の発端の元記事を書かれた方も、こうしたいろいろな意見・反応を喚起したという意味では、良い議論のきっかけを作ってくださった、という見方もできるかもしれません。
 私も、一連の自分の発言で、誰一人として傷つける意図はありません。ポジティブに自由闊達に話し合い、意見を出し合って、「なるほど、そういう考え方もあるのね」とか「なるほど、あなたの指摘の方が技術的に正しいですね。指摘してくださってありがとう!」という感じで、互いに得るものがあればそれでいいじゃありませんか。

 という感じで、指摘・議論を遠慮しあうより、むしろ推奨することで、風通しの良いエンジニア文化が国内にできてくれればと思います。
 
 そろそろ良い感じでまとめになったみたいですね。俺ナイスw←
 
 ではでは、皆様も良いお年をお迎えください( ^ ^ )/ そして、2017年もよろしくね!


  1. ユダヤ人、と聞くと「迫害された人たち」というイメージが強いですが、実際は非常にロジカルであり、ディベートするととても勝てないような手強い人たちが多い、のだそうです。いや、私も物の本でそう読んだだけで、実際に交流したことはないですけど……。 

12
7
0

Register as a new user and use Qiita more conveniently

  1. You get articles that match your needs
  2. You can efficiently read back useful information
  3. You can use dark theme
What you can do with signing up
12
7