これは、博士課程Advent Calendar 2014の記事です。匿名希望です。
私は、現在は完全に回復しているが、完全大血管転位症という先天性心臓病を持って生まれ、当時は実験的だった根治手術を受けて完全回復した生き残りである。私と同時期に同じ病院で同じ手術を受けた、私を含む22名の子供のうち、6名が死亡した。自分が博士課程を志望した理由の半分は、博論の謝辞に、自分と同じ心臓病を持って生まれ、実験的な手術に挑戦して失敗した子らの挑戦を記録するためである。
私が手術をした当時、完全回復できるが実験的な根治手術の他に、20代~30代まで延命でき手術成績も確かな延命手術(姑息手術)があった(この疾患は手術なしでは数歳のうちに100%死亡するので、完全回復できる根治手術を受けるのは、ほぼ10代以前の子供に限られる)。しかし、私を含む22名は、姑息手術を選ばず、失敗するリスクを承知のうえで、当時実験的だった根治手術に挑戦した。
その上で亡くなった子らは、サイエンスの進歩のために自らを犠牲にして挑戦した、とみなせると思うが、彼らの挑戦はサイエンスの世界からほぼ完全に忘れ去られている。もちろん、亡くなった子らは、ご親族や病院から何らかの形で供養されていると思うが、それらは、必ずしも彼らの挑戦を記録するものではない。
彼らの挑戦の存在については、半永久的に残る性格を持つ文書の中で記録する必要があると私は思った。単純に、彼らの挑戦について誰かが評価してやらねば、彼らがせっかくリスクを背負ってまで根治手術を受けた事が報われないのではないか、と、そう思ったのだ。しかし、そのような記録を半永久的に保存してくれる文書というのは、世の中には博論の謝辞以外、世の中に殆ど無い。こういうことは、記念碑を立てる性格のものではないし、既に何年も前の事なので、触れられたくない方も多いだろう。だから、あくまで個人の考えである事が明確でありながら、同時に、公文書でもあるという不思議な性格を持つ、博論の謝辞の中で、「こういう事が記録に値すると思った人がいた」という事を、小さく書いておくぐらいが良いと思う。今更、大きく取り扱っても、誰も得をしない。
もちろん、「博士課程を志望した理由の半分」と書いたように、これだけの為に博論を書いたわけではない。亡くなった子らの挑戦を記録するだけで自分の人生を終わらせてしまっては、逆に、彼らに申し訳が立たない。だから、自分のキャリアにプラスになる選択肢を取りたかった。また、研究職は自分の名前が記録される仕事でもある。完全回復した者の責務として、世に名前が残る性質の仕事がしたかった、という理由も大きい。
私は、アラサーの現在まで特に何事も無く健常者とほぼ同等に生きており、博士号が取れている。この疾患を持つ子は、約2000分の1の確率でランダムに生まれてくる。願わくは、私と同じ疾患を持った次の世代の子らの人生が、幸福でありますように。