MS-DOSでTCP/IPとUUCPを走らせていたバブル崩壊の最中のあの頃

  • 6
    Like
  • 0
    Comment

これは自宅サーバの思い出 Advent Calendar 2016 23日目の記事です1

自分にとって最初の「サーバ」らしきものは、1992年に買ったGateway2000の486DX/33が乗ったPC。これでCoherent2というUNIXクローンを動かしていたのが始まり。TelebitのTrailblazerというモデムでログインできるようにしていた。そのために電話を一本引いたくらいだから。その後このCoherentがBSDIのBSD/OSになり、FreeBSDになって、今はIntel NUCでFreeBSDが走っている。もう24年も経過している。

でもその前に1989年から走らせていたのは、PC-9801ES2で無線で接続したPhil Karn, KA9QのTCP/IPパッケージに、電話側をUUPC/extendedをメールクライアントとかを日本語対応させた代物で電子メールをやりとりしながら、USENET/NetNewsの記事を書いたり配信したりする寺子屋パッケージを組み合わせて、タイマー起動させて、無線とインターネットとの間のUSENET/NetNewsによる情報交換をしていた3。といっても、当時はまだ電話線一本でなんとかなるぐらいのトラフィックしか送受していなかったわけだが4。まだ象牙の塔の中だったインターネットの中の議論をアマチュア無線の世界に開放したということの意味は大きかったと思う5

当時、残念ながらKDD研究所が多額の電話代を負担していたInetClubも、そして国内のJUNETなりWINCなりの接続も、20代後半の若輩者には、あまりにも大人の事情が多すぎて、使う気がしなかった。商用利用が不明確なインターネットを使う気は全然しなかったのである。そこでしばらくの間は、UUnetへ国際電話していたし、1992年に大阪に移住してからも、東京にNetNewsをもらいに電話をかけたりしていた。この問題は、1993年7月にIIJがUUCPサービスを始めるまで、続くことになる。

本題に戻そう。MS-DOSのようなログインできないもののどこがサーバなんだ?と思うのが、2016年の今時の基準の判断だと思う。私もその判断に異論はない。しかし、当時KA9QのTCP/IPパッケージでやっていたことはまぎれもなくパケットルーティングであり、UUPC/extendedと寺子屋パッケージの組み合わせは遠隔ジョブ投入を可能にした分散コンピューティングの初歩だったのである。これはクライアントから指示を受けて実行して結果を返すという意味ではまさにサーバ以外の何物でもない。

当時世間はバブルに浮かれ踊っていて、私が社会人になる直前に日経平均は最高値を付けた。でも金使いに狂騒していた日本社会は「24時間戦えますか?」6というキーワードのもと、強制同期社会主義をかかげ、朝から晩まで会社で働くことを2016年現在同様必須とし、私が1990年から1992年まで勤務していた分散コンピューティングの先駆者であるVAXとDECnetをウリにしていた日本ディジタルイクイップメント株式会社という会社でも、マネージャでない者のテレワークは一切認められず、社内のDECnetから社外に出ることも許されなかった。今でこそ世界はスマートフォンでのBYODだのIoTだのと浮かれているが、日本社会があの当時からどれくらい変わっているかは疑問である。

自宅サーバというのは、そういう会社中心の強制同期社会主義と(家事、子育てや介護といった生活に欠かせないことをないがしろにする)オッサン帝国に対する、ささやかな抵抗であり、自由への解放への一歩だったことは、書いておいてもよいだろうと思う。


  1. フライングしまくってますが、書ける時に書いてしまいたいので、ご容赦を。 

  2. 最近ソースが公開されたらしい。 

  3. 1992年ごろのfj.rec.hamでの議論の記録が残っている。 

  4. この時に実験のための接続要請を認めていただいたのは、吉村 伸さん他関係各位の厚意によるものである。 

  5. この接続形態が適法か違法かについての議論は当時から喧しかったが、私が自宅からUUCP接続を始めた1989年には、明確な法律はなかった、というのが実情である。そのころの無秩序ぶりについては、拙著「インターネットコミュニティ」(オーム社、1994年11月、ISBN-13: 9784274060908)を参照して欲しい。その後私も2010年から3年弱、自分がこの本で批判していた「学術情報ネットワーク」に接続している旧7帝大のネットワーク運営者側に回る立場になったが、20年以上経っても政治的なややこしさ、そして日本ではインターネットというのはキワモノ、傾きモノとして扱われているのは何ら変わっていないという感想を禁じ得ない。このあたりの大人すぎる事情については、あきみちさんの「ルータやスイッチは日本の法律上、通信の秘密を侵害するが違法ではない」という記事が詳しい。 

  6. 1989年当時の三共のリゲインのテーマだった「勇気のしるし」という歌の一節。この曲の強烈な軍艦マーチへのオマージュは、当時の日本の浮かれぶりの象徴といっても過言ではない。