心理的安全性という言葉に手垢がつきすぎている気がして既に混乱してきてしまったので頭を整理するために書いているものです。冒頭に結論を書いておきます。
心理的安全性の高い状態の達成とは、「失敗」を「むしろ自分にとっておいしい。おもしろい」に変換できている状態を指す。 集団としては、失敗を称賛する文化ができたチーム、と言い換えても良い。
記事の表題に至る過程を以下説明します。
おさらい
心理的安全性 とは
サイコロジカルセーフティ(psychological safety)...
Psychological safety - Wikipedia
Wikipediaによれば以下である。
チームが対人関係のリスクを取っても安全だという共通の信念
心理的安全性の高いチームでは、チームメンバーは受け入れられ尊重されていると感じている。また、グループダイナミクスやチーム学習の研究において、最も研究されている有効条件でもある。
(中略)
心理的安全性は、対人リスクを低減する集団現象、すなわち「基本的に受け入れられ、価値があるということに対するその人の不安」を低減する。不確実性や変化との関連において心理的安全性が重要 である。
1982年に書かれたW.E.デミングの「マネジメントのための14のポイント」の8番目にある 「恐怖を追い出せ、そうすれば誰もが会社のために効果的に働くことができる」 は、それまでのテイラー主義のマネジメントアプローチとは対照的に、高品質のビジネス成果を実現するには、対人的に安全に懸念を表明できる環境を作ることが重要であることを強調している。
心理的安全性に対する明示的な関心は1990年代にカーンによって更新され、心理的安全性が「身体的、認知的、感情的な自己の活用や表現」を可能にすることを示した定性的研究を通じて明らかにされた。これは、従業員に問題や懸念を提起する権限を明示的に提供する トヨタ生産方式(TPS)などの当時の新しい進歩的なマネジメントパラダイムと並行して行われた。
なので注意を喚起できない、耳に痛い議論をできないのはまた心理的安全性の高い状態とは異なる。いわゆる「馴れ合い」「アットホームな職場です」とは異なるということである。
心理的安全性の敵、権力勾配
記事には「権威勾配」と言う言葉で、「意識すべき場面」が示されている。
権威勾配を構成する変数
の項目が分かりやすい。
一般的に権威勾配は上司から部下へ一方通行かと思いきや、「優秀な部下が退職をちらつかせながら中間管理職である上司をゆさぶる」ような場面はそれもまた権力勾配だという。
心理的に安全であると言うことは、「物を言いやすい環境である」ということを意味しています。
一方で、「何も言うことがない」のであれば、言いやすくても何も改善はしていきません。これをコンフォートゾーンと言います。
ちょっと耳の痛い改善をやっていこうと話し合いができるのは、チーム全体が心理的安全性だけでなく、事業への共感やミッション達成への責任感を持っているから に他なりません。
自己開示のためのセッションを設計して、誰かにファシリテーションをお願いするか、ランチミーティングや1on1などを通じて定期的な自己開示を行う必要 があります。
多くの人は既にこんな理想論は理解しているだろう。当方のこんな記事を読んでいる方はまた、コミュニケーションの大事さもわかっているだろうと思う。
とはいえ実践に移すに、やはり部下からも、上司からも、勇気を伴う行動がいるんだようううう!!!という気持ちなのでは?と考える。
たすけてGoogle先生
企業で心理的安全性といえば、やはり、Google。「プロジェクトアリストテレス」が有名だ。それこそググれば出てくるのでここでは深堀りしない。
「チームの心理的安全性」という概念を最初に提唱したのは、ハーバード大学で組織行動学を研究するエイミー エドモンソン氏
チームの心理的安全性がどの程度のレベルであるかを調べる際、エドモンソン氏は、次の文が自分自身に強く当てはまるかどうかをチームメンバーに尋ねます。
- チームの中でミスをすると、たいてい非難される。
- チームのメンバーは、課題や難しい問題を指摘し合える。
- チームのメンバーは、自分と異なるということを理由に他者を拒絶することがある。
- チームに対してリスクのある行動をしても安全である。
- チームの他のメンバーに助けを求めることは難しい。
- チームメンバーは誰も、自分の仕事を意図的におとしめるような行動をしない。
- チームメンバーと仕事をするとき、自分のスキルと才能が尊重され、活かされていると感じる。
エドモンソン先生のアドバイスはこうだ。
個人にできる簡単な取り組みとして、次の 3 点を挙げています。
- 仕事を実行の機会ではなく学習の機会と捉える。
- 自分が間違うということを認める。
- 好奇心を形にし、積極的に質問する。
「個人にできる簡単な取り組み」
学習の機会。よくわかる。とはいえ
ここまで言われてもなお、「自分ひとりがそう考えていても不十分で、周りの皆もそう考えているとわかってからでないとやはり失敗したくないよな」などと考えてしまわないだろうか(私はそう考えた)。
もう少しこの3項目を深堀りしたほうが良いのだと思った。実はその結果、冒頭の結論なのである。
心理的安全性の高い状態の達成とは、「失敗」を「むしろ自分にとっておいしい。おもしろい」に変換できている状態を指す。 集団としては、失敗を称賛する文化ができたチーム、と言い換えても良い。
つまり 「失敗それそのものを、むしろそれが面白いくらいにエクストリームに突き抜けて挑戦すればよい」。 中途半端に面白い程度では、それこそがただの失敗なのである。
...?
「自分は間違う」と認める。むしろ自分は常に間違う と宣言する。
むしろ間違うことこそが自分のアイデンティティであるとすら認めさせる状態を達成する。
「好奇心を形にし、積極的に質問する」。
むしろ質問する。
ここまでのことを書いていて、以上をシンプルに表現している事象に気づいたのだった。
「出川イングリッシュ」である。記事タイトルは釣りでもなんでも無く真剣にそう考えました...。
出川の英語レベルをどうこう言うのは非常に簡単だ。しかし、皆の語学習得に立ちはだかる大きな大きな恥ずかしさの壁を、オジサン出川はたやすく超越している。そりゃコメディアンだから失敗が仕事でしょう、そう思う人もいるかもしれない。いやそんなことはない。ソフトウェア開発者であっても、「失敗を生業としてチャレンジ」することはポジティブなベクトルの文化として育まれるべきではないだろうか。
だから失敗を称賛する文化ができたチーム。そういえば自分自身は「怒られるか怒られないかギリギリを模索するのがライフワーク」と宣言しています。受け入れてくれている社内に感謝...。
冒頭 Wikipediaの「対人関係のリスクを取っても安全だという共通の信念」。なんか小難しいけどさあ、英会話はもとより、ソフトウェア開発におけるチームビルディングでも、失敗を報酬に変換できるレベルで自分自身に美味しい価値として利用する勇気と、失敗をむしろ加点として、称賛して、面白がれる仕組みがあるといいんだろうな~というポエムです。
以上お役に立てばさいわいです。