@alumican_net です、なんとか生きてます。こちらの記事は FLASHer Advent Calendar 2016 24日目の記事となります。当初は自作のopenFrameworksアドオンについて書くつもりだったのですが、ほぼドキュメントの話になってしまいました。よろしければどうぞ。
→ ofxCommand(ProgressionのCommandライクに書けるopenFrameworksアドオン)を作った
代わりに、学生時代含めてまだ15年くらいですがインタラクティブ界隈で表現活動をしながら見てきたこと、私がやっていたことは何なのかということを、あくまで主観的に思いのまま書いていきます。
そこにはFlashがあった
Flashの魅力をひとつに、その器の大きさがありました。
私は高校生のときDirectorを買えずFlash 5から始めたのですが、当時からFlashはドローイングツールを持ちつつ、外部の絵も音も映像も画面にドラッグすれば何でも取り込めて(映像はFlash MXからでしたっけ)、それらはタイムラインという時間軸の上で同じように管理でき、その時間軸をさらに大きな時間軸で包むという宇宙的概念を備えており、挙げ句の果てにそこに高度なプログラムを貼り付けることができました。
それだけ何でも受け入れてしまうツールなので、そこにはいろんな文脈の人達がひしめいていました。絵の人、アニメーションの人、音楽の人、ゲームの人、プログラミングの人、様々な人達が同じツールの上で、自分の得意技を活かしつつ、他の要素を取り入れながら表現活動をしていました。
それだけ何でも受け入れてしまうツールでありながら、Flashから生まれるのはFlashでした。ツールとコンテンツが同じ名前でした。Photoshopから生まれるのは画像だし、AfterEffectsから生まれるのは映像ですが、多くのFLASHerはFlashからFlashを生み出していました。たくさんの人が最終的にFlashPlayerという同じ土俵で作品を披露し、だからこそ作り手同士が近く、交流や切磋琢磨が生まれました。プログラマーとアニメーターが、1フレームの機微を語り合うことができました。
時代は変わり、スマホが生まれ、日常はウェブサービス上に分散し、情報は「見に行く」ものではなく「流れ込む」ものになりました。WebフロントエンドとしてのFlashPlayerを取り巻く環境も変わっていきました。Flashはツールとコンテンツが強力に結びついていたため、恩恵もあった反面、FlashPlayerの衰退とともにツールとしてのFlashも引きずられてしまいました。
「善さ(よさ)」と「好さ(よさ)」
最近は企画設計の段階から参加することも増えてきました。そこで感じるのは、まだちゃんと体系化できてないのですが、理論的なよさ(ここでは善さ)と感覚的なよさ(ここでは好さ)の存在です。そして、感覚的なよさを知るためにはモノが無ければならないので、色々な事情で後ろ回しになることが多いように感じます。
上手くまとめ切れていませんが。
「善い」ものづくりは外側を向いたものづくりだと思います。世の中を見渡し、そのときそのときの正しさを見つけていくことです。この社会の何処に、何を、いつ、どのように届けるのか分析することで見えてくる「あるべき」ものです。
「好い」ものづくりは内側を向いたものづくりだと思います。職人的なこだわりの積み重ねが、全体をまとめる雰囲気となっていきます。感覚や美意識から生まれるものは、ひたすら自分の中のイメージの解像度を上げながら精度を出していかねばなりません。「ありたい」像を描き、向かっていきます。
「善さ」が欠けた先にあるのはエゴです。かつてFlashサイトが嫌われていった背景として、作り手側が瞬間的な気持ちよさや見た目の派手さに囚われてしまい、ユーザビリティをないがしろにしたウェブサイトが多く存在したことが挙げられると思います。私自身、INFOBAR A02のUIデザイン に携わる前まではそのような傾向もありました。
「好さ」が欠けた先にあるのは均質化によるつまらなさです。使いやすさのためには、ユーザーが慣れ親しんだ作法をきちんと理解することは必要です。その上で、あらゆるデザイン、些細なモーション、インタラクションに魂を吹き込みます。それによって初めて、なんとなく作られたような量産品とは違う、大切に持ち続けたくなるような手触りが生まれると信じています。先のA02を例に挙げると、標準的なUIメタファに則りつつも、ホームスクリーン上のパーツに対して膜の弾性物理シミュレーションをおこなうことで、均質なタッチパネルの上で生み出されるひと味違った手触りをプロダクトのアイデンティティのひとつとしました。
私たちがFlashで作っていたのはswfだけではなく、「好い」触り心地やリズム感、雰囲気や佇まいといったものなのだと思います。それらは結果的に、ボタンの押し心地やトランジションのイージング、効果音のタイミングなどとして現れます(参考)。それらは、会議室での議論やペーパープロトタイピングの質だけでは計れないものです。
愛されるプロダクトを作るとき、この2つのよさのどちらが欠けてもつらいです。UIにおいても、例えばインターフェースに与えたリズムに乗るように画面遷移を変化させることで正しい設計を導き出したり、逆に設計を理論的に詰めていく中で空気感への着想を得たり、「善さ」と「好さ」は本来切り離せないものです。その間の重心を行き来しながら試行錯誤することは楽しいですし、そのぶん成果物も洗練されてく気がしています。なので、双方のよさは同時に組み立てていきたいのです。
余談ですが経験上、「善い」ものを作る目は周囲の現象の根拠を深掘りすることで、「好い」ものを作る目は周囲の現象の印象を深掘りすることで養えると思っています。私の場合は、気になった物をがあれば立ち止まってなぜ心が引っかかったのかを言語化してみたり、自然界の動きをサンプリングして実験的に再構成する事が多いです。
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水と油のように混じり合うことのない液体の振る舞いを絵画に適応する(クリック / 左右キー)
http://lab.alumican.net/drop/ -
生物らしさ抽出したシミュレーション①
http://lab.alumican.net/jellyfish/ -
生物らしさ抽出したシミュレーション②(脚があると等速直線運動に見えなくなる)
http://lab.alumican.net/crawler/ -
ユーザーがデザインできる生物が遺伝的アルゴリズムによって歩き方を学習していく(Flash)
http://alumican.net/atelier/earthwalker
FLASHerとして思うこと
ここ数年で社会のインターネットに対するアクセスが多様化し、それにともないプロダクトの在り方も多様化しました。かつてはFlashというツールで最初から最後までできていたことが、単純にFlashというひとつのワークフローに収まらなくなったのだと思います。
そういった世界は、むしろFLASHerにとっては好都合です。元来FLASHerはあらゆるものを取り混ぜながら感覚的に心地よいものを生み出せる異種格闘技戦のプロフェッショナルです。1秒に満たない動きやインタラクションによって人の心を動かす職人です。しかも、制作の最終ラインで鍛え上げられたマッチョなので、感覚的なよさへの嗅覚、試行錯誤のサイクル、組み立てがメチャメチャ早いです。
大きなプロジェクトほど、そのような特殊能力者が「善さ」の理論を身につけたら無双できます。100回の会議よりも、10個のペーパープロトタイピングよりも、雰囲気まで伝わってくる1つのモックアップをいち早く出した時点で、議論ベースがそのモックアップ移ります、これは最強です。
そんな画面と画面の間にストーリーを創れる人間、最速で「好さ」をプレゼンテーションできる人間なら、どんな現場でもリードしていけそうです。(昨今のトレンドに対してカウンターをあてながら、感覚的なよさで正しさをリードしていく姿もFLASHerらしい気がします)
情勢やツールが変わっても、やるべき事はたいして変わっていないということです。
気になるのは、Adobeの偉い人がFlash(Animate)のそういったポテンシャルに未だに気付いていなさそう、ということです。Flash単体で完結可能なプロジェクトにはもう出会わないかも知れませんが、いろいろな局面で高速に試行錯誤でき、いろいろな立場の人に感覚を素早く共有する代替ツールも存在しないのが現状です。Flash Catalyst Adobe XDはFLASHerの命を吹き込めるツールとして成長ほしいです。
Flash界隈で熟成されてきたインタラクションやモーションの職人芸をノスタルジーで語らなくていいように、身体に染みついた感覚を宿せる場所をたくさん作り出して、素敵なものづくりの手段として次世代へ渡していけると楽しそうですね。1
私の投稿は以上です、乱筆にて失礼いたしました。
明日はFLASHer Advent Calendar 2016最終日、@yd_niku 氏の投稿になります。
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ちなみに多摩美術大学で受けもっているインタラクション講義にはAnimate CCを利用しています。理由は、学生達がもっている創作能力をそのまま素材として使えるからです。プログラムだけでの表現となると再び創作の山を麓から登らなければなりませんが、プログラミング的な考え方を現在の創作に取り入れることで、今のスキルを基準に様々な可能性を感じてもらうことを期待しています。ただし素のActionScript3.0は難しすぎるので、プログラミング的思考とインタラクション設計に集中できるよう、独自のプログラミングフレームワークを用意しています。 ↩